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ほんとうに「生産性」は至上の価値なのか?


 「LGBTには生産性がない」という意味のことを書いた議員に批判が集まっています。

 

https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/lgbt-sugita-mio

 

 ぼくはこの文章を読んでいないし、読むつもりもないのではっきり批判することはできないのですが、まあ、差別発言であることは間違いないでしょう。議員の資格を疑われることも当然かと思います。

 

 しかし、そもそもここで問題にされている「生産性」とはいったい何なのでしょうか? なぜ、「生産」はそれほどまでに高い価値を認められているのか? ぼくはそこに疑問を抱きます。

 

 で、この問いを突き詰めていくと、結局のところ、「もっと長く生きたい」、「もっと快適な暮らしをしたい」という人間の欲望に行き当たる気がします。そのためにこそ「生産」は必要なのであり、価値を認められているのだと思うのです。

 

 次世代の人間を「生産」しなければならないのは、そうしなければ社会の負担が大きくなるからでしょう。しかし、そのようにして社会のために子供を「生産」しなければならないという考え方は、あきらかに個々の人権を侵犯してしまう。ここにある種のジレンマがある。

 

 だから、ぼくはこの「生産」という価値観に大きな懐疑を抱きます。はたして、ほんとうに「もっと生産を!」と叫びつづけるべきなのか。

 

 もちろん、人間の性質として「生きること」、「生産すること」を逃れることはできないにしろ、ほんとうに生産を絶対善として掲げてかまわないのか。それが疑問なのです。

 

 「生産」を至上視する価値は、まさに今回の件であきらかになったように、多くのものごとを歪ませてしまうのではないかと考えます。

 

 LGBTの人にほんとうに生産性がないかというともちろんそんなことはないわけですが、かれらのなかに子供を作る人が相対的に少ないのは事実ではあるでしょう。

 

 ぼくはそのような意味での「生産性」で人を差別したり、非難したりすることは、もちろん間違えていると思います。

 

 ただ、「生産」を、そして「もっと!」という欲望をどこまでも肯定しつづける限り、こういうことはまた起こりかねない。ぼくたちはそのひたすらに生産を求める「エロスの欲望」とどこかで折り合いをつけなければならないのではないかということです。とてもむずかしいことではあるでしょうが……。

 

 ぼくは、そう思います。

 この記事を書いている人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。ネットの世界にデビューする。そのサイトの後身であるブログ「Something Orange」は1000万PVを記録。その後、ニコニコチャンネルにて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないとか思っているよくいるタイプのアラフォー男子。