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才能とは「自分のへたくそさに気づくこと」だ!


■才能はなくても

 

 あいかわらずサイトのデザインをちょこちょこいじっています。今回はフォントのサイズをびみょーに大きくしてみました。見るからに読みやすくなりましたね。

 

 細かい文字に慣れているとどうしてもフォントを小さくしたくなるんだけれど、やっぱり大きめのほうが読みやすい。ここら辺はやってみないとなかなか気づかないことだなー。

 

 デザインというと、即座に「センス」という言葉が浮かびますが、まったくその種の素質にに恵まれていないぼくでもこのくらいはできるということですね。

 

 ほんとうにヴィジュアル的な素質は皆無なので、感慨無量です。かなり綺麗にできたと思います。

 

 このブログも小見出しを挟んだりして、少しでも可読性を上げようとしているのですが、どうでしょう?

 

 ぼく自身はある程度、長文を読みなれている人間だけに、文字だけでもまったく平気なのだけれど、一般的にはやっぱり画像を入れたり、小見出しを挟んだりして見た目を花やかにする必要があるのでしょうね。

 

 どの画像を入れたら良いかわからないところには牛ガールとか意味がわからない画像を入れたりしていますが(笑)、それでもないよりは良いんじゃないでしょうか。

 

 うん、完璧には程遠いにしろ、ぼくにしてはなかなか上手なサイトができあがったと思います。

 

■ぼくらの秘密基地

 

 ずっとこういう「秘密基地」が欲しかったんだよねー。感慨無量です。

 

 まあ、こういうデザインとかヴィジュアルの領域も「センス」なり「才能」が要求されるのはほんとうに最後の最後で、それまではやはり「努力」とか「勉強」が大切なのだろうとは思います。

 

 ちなみに、文章技術もきちんと磨けばだれでもある程度のところまでは行きます。ただ、「うまい文章」と「へたな文章」の見分けがまるでつかないようだときびしいかもしれない。

 

 自分の文章を見て、「どこがへたなのかよくわからないけれど、何だか読みにくい、かっこよくない!」と気づく人は、時間はかかっても必ず上達します。

 

 そう、その意味では、才能とは、たぶん「自分がへたであることに気づく能力」のことなんですよね。

 

 いま、へたである自分に気づいたなら、それは修正できる。でも、へたなのに「おれってけっこうなかなかじゃん」などと思っていると、いつまで経っても成長できないでしょう。

 

■稚拙さを感じ取ることが才能

 

 いや、何かブーメランが返ってきた気もしますが、そうなんですよ。「才能」とか「センス」とかに頼るのではなく、地道に「技術」を身につけていくことがどこの世界でも大切なのだと考えます。

 

 才能は平気で裏切るけれど、技術はまず裏切らない。だから、少しずつ少しずつ自分の技術を高めていくことに喜びを感じられる感性をもっている人は、きっといつのまにか成長していることでしょう。たぶんね。

 

 自分の書くもの、描くもの、奏でるもの、作るものに「違和感」を感じることができたなら、あとはそれを突き詰めていくだけです。いやまあ、それがむずかしいんだけれど、でも、まったく「何かが狂っている感じ」を感じ取れないよりは、救いがある。

 

 「自分はいま、へただ。どうしようもない」と感じ取れたということは、上達への第一歩なのです。安西先生もいっている。「下手糞の上級者への道のりはおのが下手さを知りて一歩目」と。

 

 そうだと思うんだよね。ほんとにブーメランな話ですが、ぼくはそう思います。何か極限的に美しいものにたどり着くためには、際限なく修正をくり返していくしかない。

 

 その道を、楽しめ。

 この記事を書いている人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。ネットの世界にデビューする。そのサイトの後身であるブログ「Something Orange」は1000万PVを記録。その後、ニコニコチャンネルにて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないとか思っているよくいるタイプのアラフォー男子。