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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は並行世界的想像力が横溢する現代においていかにして物語の唯一性を確保するか。


■『エヴァ』完結!?■


 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の特報がYouTubeに掲載されたみたいですねー。

 

 全国的に『未来のミライ』の上映時に合わせて上映されていたという映像ですが、わずか22秒ながらさすがのハイクオリティです。

 

 やっぱり『エヴァ』の予告編はこうでなくっちゃね! え、ピアノ? ピアノがどうかした? はてさて、何のことやら……。最近、歳のせいか記憶力が落ちていてのう。

 

 まあ、そういう古典的なボケはどうでもいいのですが、とりあえず再来年までは生きていないといけないな、と思いますね。

 

 『ガラスの仮面』とか『ベルセルク』の完結を見るのはほぼあきらめているけれど、『エヴァ』くらいはねえ。

 

 1995年に始まった『エヴァ』がついにというか、ようやくというか、完結する(?)というのはそれだけでひとつのビッグニュースです。

 

 もちろん、実物を見てみないことには何とも判断できないのだけれど。ほんとうに終わるのだろうか、と思っている人も少なくないはず。でも、『タイタニア』だって終わったのだから終わるんじゃないですか。

■二次創作的想像力が生み出す無数の並行世界。■


 もっとも、広い意味での『エヴァ』のコンテンツ展開がこれで終わるということはないでしょう。ある意味では、『エヴァ』はいま、無数の並行世界を胚胎することになっている。

 

 学園ものやら伝奇ものやら、あるいは碇シンジがたどった「かもしれない」無数のパラレルワールド。それこそ「公式二次創作」に近いかたちで生まれて来たそういう作品たちは、まだしばらくのあいだ続いていくに違いありません。

 

 ぼくはこの「二次創作的、あるいは並行世界的な想像力」が現代の創作を語るときのひとつのキーワードになっていると思います。

 

 ここら辺、まだはっきりとは整理がついていないのだけれど、「無数の二次創作による並行世界が存在する状況で、ある物語世界の唯一性をどのようにして担保するか?」という話だと思うのですね。

 

 つまり、受け手が「どうせこれも無数にあるルートのうちのひとつでしかないんでしょ」と冷めた目で見てしまうことにどう対抗するか、ということ。

 

 目の前にある物語がいくつもの並行世界のなかのワン・オブ・ゼムなのではなくて、ユニークな世界なのだと把握してもらうためにはどのような手段があるか、と。

■ただ唯一の物語を取り戻すために。■


 ある意味では、現代においてはもう一次創作、オリジナルな作品の特権性は喪失していると思う。

 

 それでもなお、その物語を唯一無二のものとして受け止めてもらうためには、結局は、それがクオリティにおいて絶対的にほかの二次創作をリードしていると示すこと以外にはないのかもしれないですね。

 

 その、圧巻の体験をもってしか、「いま、自分は特別な体験をしている」という感覚は取り戻せないのかもしれない。

 

 おそらく、『シンエヴァ』はそういう意味でスペシャルな作品に仕上がって来るだろうと思うけれど、それは容易なことではないには違いありません。

 

 まあ、いちファンとしては心から楽しみにしつつ、2020年を待つばかりです。あと2年か。その頃には同人誌のプロジェクトも終わって、「次」に取り掛かっているとは思うのだけれど、はてさて。

 

 前作で絶望の底に叩き落とされた碇シンジは再生するのか? そして、あらゆるルートが断たれたかに見えるかれに成長への道はあるのか? 「気持ち悪い」以外のエンディングは用意されているのか? 滅びてしまった世界はどのような状況なのか?

 

 とにかく楽しみでなりません。ハッピー。そのときには必ずオフ会をひらいて集団で観に行くぜ!

 この記事を書いている人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。ネットの世界にデビューする。そのサイトの後身であるブログ「Something Orange」は1000万PVを記録。その後、ニコニコチャンネルにて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないとか思っているよくいるタイプのアラフォー男子。