
◆二次創作並行世界は物語に何をもたらすか?
並行世界について考えている。
つまり、並行世界という概念は物語に破滅的退屈さを呼び込むのか、それともより豊饒な実りをもたらすのか?
前回はこの概念をわりとネガティヴに捉えていたので、今回はポジティヴに捉えなおしてみよう。並行世界の存在によって、物語はさらに面白さを増すと考えるのだ。
そもそもここでいう並行世界とは何かというと、端的にいうならつまり、二次創作のことである。
たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』で考えてみよう。
『エヴァ』本編では人類補完計画が発動し、人類は滅亡し、碇シンジは補完されてしまったわけだが、その一方で本編とは異なる展開を描く無数の並行世界が存在する。
一例を挙げるなら、漫画版の『エヴァ』がそうだ。
貞本義行による漫画版の『エヴァ』は、アニメ本編とは似て非なる展開を遂げる。
これはまさに、アニメ版『エヴァ』の並行世界を生み出したのだといえるだろう。
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◆神話の時代から二次創作は存在する。
このような並行世界的作品は、もちろん、昔からあった。
たとえば、『三国志演義』という物語には、『反三国志』というアナザーストーリーがある(ちゃんと翻訳もされている)。
これは『三国志演義』本編とはまったく異なる話で、まさに二次創作、あるいは並行世界であるといえる。
というか、物語というものの性質を考えると、その誕生時点で並行世界的物語は存在したといえるのではないだろうか。神話や伝承にはさまざまな「異聞」が付き物なのだ。
そういうふうに考えると、物語の並行世界的展開というのも、実に「いまさら」な話ではある。物語とは昔からそういうものだったし、これからもそうだろう、ということができるかもしれない。
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◆『エヴァ』二次創作の宇宙。
だが、それで良いのだろうか? さらに『エヴァ』を例にして考えてみよう。
『エヴァ』は公式にもいくつもの二次創作を生み出しているが、同時に非公式の二次創作の量も相当のものになる。
細かいものをカウントしていけば、おそらく、何万、あるいは何十万という量だろう。
ある意味では、それだけの数えきれないほどの並行世界が『エヴァ』本編を取り巻いているわけだ。それらすべてを合わせて、『エヴァ』ユニバースは成り立っていると考えることもできる。
それらの二次創作には、描き手の願望が投影されていることが普通だ。いい方を変えるなら、描き手が『エヴァ』本編において不足であると考えた、あるいは不満であると認識したものがその二次創作には反映されている。
『エヴァ』はハッピーエンドであってほしかった!と考える人はそういう二次創作を描いてひとつの並行世界を生み出すだろうし、さらに陰惨な展開が見たかったと望む人はまたそのような二次創作と並行世界を生むことと思われる。
つまり、並行世界とは「それぞれの描き手の願望が叶う物語世界」であるといえる。そして、あるいは「それぞれの受け手の願望が叶う物語世界」でもあるかもしれない。
たとえば、シンジとアスカにはラブラブであってほしい、と願う描き手はじっさいにシンジとアスカがいちゃいちゃしている物語世界を生み出すだろう。
あるいは、シンジとカヲルが激しい受け攻めをくり返すボーイズ・ラブ的並行世界を生み出す描き手もいるだろう。
現代においては、そういう二次創作並行世界が本編とパラレルに無数に存在していて、受け手は好きなだけそれを楽しむことができる状況が整っている。
◆『Fate/Grand Order』が生み出す壮大なユニバース。
あるいは、『エヴァ』より『Fate/Grand Order』あたりのほうが例として適切かもしれない。
『FGO』の二次創作はまさに膨大だ。そして何より、『Fate』自体が並行世界的構成を取っている。ひとつひとつの『Fate』作品は並行世界としての関係にあるのだ。
『Fate/stay night』本編にしてからが、それぞれ展開が異なる三つのルートから成り立っている。『Fate』はその始まりから並行世界を受け入れる構成を為しているわけだ。
そして、この構造は『Fate』世界をあきらかに豊かなものにしている。
『Fate/stay night』と『Fate/Zero』、あるいは『Fate/Grand Order』では微妙に設定が異なっているわけだが、『Fate』においてはそれは問題ではない。
『Fate』の世界は膨大な二次創作をすべて取り込んで、さらに拡大していっている。これは、並行世界構造のあきらかにポジティヴな一面だ。
『Fate』は本編だけで成り立つのではなく、そこから派生するいくつもの想像力を取り込んで、自分の力に変えているということ。
そして、それでもなお、本編は紛れもなく本編として屹立していて、だれもがそれを認めているということ。ここにおいて、並行世界はまさに物語の力そのものですらある。
幾万もの並行世界が存在し、どれが「正しい」ともいえないなかで、それらすべてを内包することによって『Fate』の宇宙は成立しているのだ。
受け手はそういうふうにこの宇宙を楽しむことができる。ゲームシナリオライター元長柾木の言葉を借りるなら、まさに「圧倒的な楽園」だ。
◆二次創作並行世界に問題はあるのか?
それでは、数知れない並行世界が生み出され、消費されていくことの何が悪いのだろう? あるいは、何も悪くない、端的に素晴らしいことなのだろうか。
ここまで考えてみると、並行世界と二次創作の氾濫のどこにぼくが不満を持っているのかはっきりわかったように思う。
ようするにぼくは、並行世界そのものではなくて、「並行世界による願望充足の構造」を問題視しようとしているのだ。
本編の内容を受け入れられなかった人が、願望充足的な二次創作を読み、あるいは自ら生み出し、その世界に閉じこもることがいかにも不毛に思えるのである。
たしかに、その世界は居心地が良く、すべての望みが叶う万能の世界ではある。しかし、そのような世界を選ぶなら、そもそも物語などいらないのではないだろうか? そう思うのだ。
それは「他者」が存在しない、ナルシシスティックな感情で満たされた揺り籠に過ぎないように思える。
◆並行世界の可能性を信じる。
だが、もちろん、並行世界は願望充足に留まるものではない。そこには、ありとあらゆる可能性が内包されていることもたしかである。
あるいは、本編以上に「面白い」二次創作だってありえるかもしれないのだから。
その意味で、並行世界は本編世界の豊かさを増すものではあっても、減らすものではないということもできそうだ。
つまり、並行世界が豊かに生み出され、繁栄していくことは物語の受け手にとって良いことなのだろう。
そして、物語の本編は「それにもかかわらず」、受け手に選ばれるような世界でなければならないということになる。
◆「面白い」物語は生き残る。
とはいえ、そもそも受け手は従来の意味でいわゆる「面白い」、「優れた」とされる物語世界を選ぶものだろうか?
「面白い」世界は、しばしば「作者の強烈なエゴ」が生み出すものだ。それは、「押しつけがましい」と考えることもできる。
そんなものを選ぶより、同人誌的にチープな、だが安楽な世界に閉じこもるほうが楽ではないだろうか。結局のところ、だれもがそれぞれにとって願望充足的な世界に閉じこもる結果になるのではないだろうか。
いや、現実にはそうはなっていないし、そうなりはしないだろう。人は決して安楽なだけの世界には満足し切れないものだ。
そこは受け手を信じるしかないし、おそらく信じるに値するはずだ。
どんな物語にも、無限の可能性のヴァリエーションが存在しえる。たとえば、『ハムレット』にもハッピーエンドの可能性がある。
そのうえで、読者は悲劇としての『ハムレット』を好んで読み、伝えてきた。そのことを信じよう。
ぼくが考えるような「良い」、「優れた」物語には生き残るだけの力があるということを信じよう。
そして、まさに無限に広がる多元宇宙(マルチバース)をポジティヴに受け入れよう。人はその無限を前にしてすら、目の前のひとつの世界に相対することができると信じるのだ。
この話をするとき、赤松健の『UQ HOLDER!』が面白い内容になっているが、そのことについては次回。
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この記事を書いている人:海燕(かいえん)
プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。
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