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非モテが幸せになるたったひとつの冴えたやりかた。

◆非モテと「相対的剥奪」。


 すでにお読みかもしれませんが、こんな記事がしばらく前に話題になりました。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56258

 

 はるか遠くのアメリカで、日本と同じように「インセル」という名前の「非モテ」男性が過激化してテロに走っているという内容です。

 

 どこの国でも同じだなあというか、あまりにもくだらなすぎて情けなくなってくるのだけれど、でも、まあ深刻な社会問題ではあるのでしょう。

 

 ここで面白いのが、「相対的剥奪」という概念。耳馴れない言葉かと思いますので、ちょっとこれについて説明している個所を引用してみましょう。

 

相対的剥奪は、元々はこんな話だ。ある部署では、ある時期になると50%が昇進する。別の部署は25%しか昇進しない。常識的に考えれば、昇進する割合や人数が多い部署のほうが不満は少なさそうなものだが、こうした場合、先の部署のほうが不満が高まるのだという。4分の1しか昇進しないのであれば、仕方が無いと諦めもつくが、半分も昇進するのに自分は漏れたとなると、収まらない人が増えるのである。

 

ようするに、昇進の有無そのものや絶対的な格差よりも、主観的には「当然」昇進すべきだったのに、実際にはなぜか昇進できなかった、というような相対的な不遇のほうが、深い不満をもたらすのである。

 

この「当然」には、本来自分が得られるはずだったものを(多くの場合自分よりも劣っているとみなす相手に)不当に奪われた、という感覚も含まれる。

◆非モテとはモテない人のことではない。


 この文書を読んで、何かものすごくよく理解できた気がしたのはぼくだけではなかったでしょう。

 

 非モテの苦悩とは、まさにこの相対的剥奪に尽きると思います。

 

 いわゆる非モテ男性は、その表面的印象とは「モテないこと」に苦しんでいるのではありません。

 

 もし、かれらが「モテないこと」そのものに悩んだり苦しんだりしているなら、「モテようとする努力」をすることが解決のための方策として正しいことになる。

 

 しかし、かれらは一般にそのような「努力」による問題解決の可能性を徹底的に拒否します。

 

 いわく、自分は容姿がひどいから絶対にモテない。女性が自分のような「キモメン」など相手にするはずがない。女たちはイケメンと金持ちにばかり群がっている。こんな世の中じゃポイズン。

 

 というわけで、一切の問題は自分自身ではなく自分をそういう自分を作り出した遺伝子にある、という論理になります。

 

 以前、ぼくはこのように主張する男性は日本特有のものなのかと思っていたのですが、上記記事を読む限り、国を問わずそっくりそのままといいたいような男性集団が存在しているようですね。

 

 いったいこの「非モテ」とは何なのでしょうか? なぜたかがモテるとかモテないとか、そういうどうでもいいような問題でこうまでひねくれ苦しむのでしょうか?

 

 その答えが、「相対的剥奪」だと思うわけです。

◆非モテのウルトラマッチョな価値観。


 多くの非モテの価値観の根底を為しているのは、男性には恋人として、あるいはセックスパートナーとしてひとり以上の女性があてがわれて「当然」である、というウルトラマッチョな考え方だと思います。

 

 かれらにとって、「モテない」ということは、この「当然」に与えられるべき基本的人権が不当に侵害されているゆゆしき状況なのです。

 

 かれらにいくら「もう少しファッションを気にしてみたら?」とか「女性が集まるグループに参加してみたら?」といった実効的なアドバイスをしてみても意味がありません。

 

 かれらはそもそもそういうことをしたくないから非モテというアイデンティティを鎧のようにまとっているのですから。

 

 かれらはモテないことに苦しんでいるのではなく、むしろ積極的にモテたくないのだといっても良いでしょう。

 

 ここらへん、非常にひねくれたルサンチマンの心理なので、ふつうの人にはわかってもらいにくかもしれませんね。

 

 しかし、ここが非モテを語るときのキモであることは間違いありません。

 

 つまり、非モテはモテないから非モテなのではなく、モテたくないから非モテなのです。

 

 かれらはやたらに女性を軽蔑し、ミソジニー(女性嫌悪)をたぎらせていますが、これはつまりかれらがきわめて保守的な価値観を内面化していることを意味しています。

 

 かれらの世界観において、女性とはきちんと男性に仕えるべき存在であり、その義務を放棄してイケメンや金持ちに媚びるなどもってのほかなのです。

 

 非モテは仮にモテても非モテのままです。

 

 非モテが何かのキッカケでいくらかモテるようになることは時々あることですが、そういうときにもかれらは女性に対して支配的、暴力的に振る舞うでしょう。

 

 なぜなら、かれらは内心で女性を軽蔑し、見下していて、対等のコミュニケーションを行うことができないからです。

◆非モテと暴力男の共通項。


 いまからしばらくまえに、評論家の岡田斗司夫さんの女性に対する態度が暴露され話題になったことがありますが、あれはまさに「モテた非モテ」の態度そのものです。

 

 上記記事で触れられているピックアップアーティストならぬ「恋愛工学」系の人々などもまったく同じ穴のむじなということができるかと思います。

 

 ようするに、非モテにおいてほんとうに問題なのは、その、きわめて保守的でマッチョな価値観なのです。

 

 かれらはしばしば「カースト上位」にいる男性たち、女性たちを口汚くののしりますが、その実、かれらの価値観はそういった男女と何ら変わりありません。

 

 そもそも同じ価値観を共有しているからこそ「勝ち組」をうらやんだり妬んだりするのであって、そうでなければ「勝ち負け」などどうでもいいと思うでしょう。

 

 たとえば、スポーツが上手な人を妬むのは、スポーツの技術に価値を見いだしている人だけです。まったく価値観が違っていたら嫉妬は発生しようがありません。

 

 そういうわけなので、非モテが非モテを脱却し幸せになるための方法はひとつしかありません。

 

 それは、その保守的でマッチョな価値観を捨て去ることです。

 

 べつに他人が恋人がいようがいまいが、イケメンであろうがあるまいが、あるいはどれほどリア充を謳歌していようがどうでもいいことではないでしょうか?

◆非モテ的価値を乗り越える。


 もちろん、自分に「当然」与えられるべきであるお金や恋人やセックスや女性からの賞賛が得られないことは苦しいでしょう。

 

 しかし、それはお金や恋人やセックスや賞賛を手に入れることによって解決することはできません。

 

 ちょっと手に入れれば、もっと欲しくなるだけのことです。そうではなく、その「飢え」そのものを根本から解決することが重要だと考えます。

 

 なぜ自分が「モテ」にこだわるのか、まったく関係ない男性や女性を憎んでやまないのか、自分の内面と対話することによって洞察するべきです。

 

 その「自分と向き合う」プロセスを避けて、いくら「勝ち組」男女をののしったり、ネットで他人を「論破」して悦に入ったりしても、ただむなしいだけです。

 

 ネットは人のナルシシズムを限りなく増幅する装置ですから、非モテ道を究めようと思ったら簡単なことでしょう。

 

 ですが、その道をいくら進んでも幸せは遠ざかるばかり。むしろ、進めば進むほど「持てる(モテる)者」に対する恨みや憎しみは募っていくばかりでしょう。

 

 だから、その「男性的」な価値観そのものを捨ててしまえばいい。そして、やりたいことをやって好きなように生きる。そうすれば、非モテの苦しみは途端に癒えるはずです。

 

 ところが、これがむずかしいところで、非モテの人にとっては、その恨みや憎しみ、つまりルサンチマンが、自分にとっての唯一のアイデンティティであり、プライドの根源であったりするのですよね……。

 

 放埓なセックスを謳歌するような「堕落した」男女に比べて、自分は道徳的に優れた人間であるという誇り。

 

 それが、それだけが非モテにとっての自己肯定感であったりするという、この歪み。

 

 これはべつに日本に限った話ではなく、世界中どこででも見られるものだということがあきらかになったわけですが、いったいこれはどうすれば良いのでしょうね?

 

 ぼくにはさっぱりわかりません。自ら望んで不幸でいたいと思う人々、恵まれない可哀想な自分にひたっているのが好きでならない人たちに対して、はたしてほんとうにできることがあるのか、どうか。

 

 そういう自己憐憫にひたっていたければ一生そうしていればいいんじゃないの、としか思えないかもね。

◆「オタク≒非モテ」という幻想。


 かつて、「オタク」とこの種の「非モテ」は非常に親和的な概念に見えていました。

 

 「オタク≒非モテ」だったとすらいえるかもしれません。もちろん、じっさいにはオタクにもいろいろな人がいて、モテるオタクとかイケメンのオタクだってそれなりにいたわけですが、そういう現実は不可視化されていて、オタクといえば非モテであるかのように見えていた時代があった。

 

 しかし、その時代は確実に終わりました。そして今後、「オタク」と「非モテ」の距離はさらに遠ざかっていくことでしょう。

 

 紛れもなく「好きなこと」がある「オタク」は今後、「勝ち組」のように見えるようになっていくかもしれませんし、「非モテ」はあいかわらず「負け組」を自称しつづけることでしょう。

 

 やんぬるかな。いち「オタク」のぼくとしては放っておきたいところですが、でも、非モテをこじらせてテロリストになってしまうような輩が頻出するようなどそうもいかないかも。

 

 どうしたものでしょうかね。アイディアがある人はメールフォームよりどうぞ。ぼくは、どうしようもないと思うけれど。


 この記事を書いた人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。


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