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東京医科大学の不正な採点は「女性差別」にあたるか?

◆東京医科大の採点基準はアンフェアか?


 ども。

 

 あるいは「プロジェクト物語三昧」に適当ではないかもしれませんが、どうにか物語にかこつけて、東京医科大が女性受験者を一律減点したのではないかという話を取り上げましょう。

 

 これについて、青識亜論さんが書かれていることが面白いですね。

 なるほど。青識さんが仰りたいことはわかる。

 

 「ある試験がフェアな基準で行われたかどうか」と「仮にそれがアンフェアであるとして、そのことは差別といえるかどうか」は切り分けして考えるべきだということですね。あいかわらず面白い観点を見いだすな。

 

 で、ちょっと考えてみたのですが、これはやっぱりふつうに差別じゃないかしらん。

 

 ①の論点において、女性だけ点数を減らすという採点基準が未公開であったことはどう考えてもアンフェアであることは青識さんも認めるところであるわけで、そうだとしたら、「女性だけがアンフェアな処遇を受けた」ことになる。これは明白な女性差別でしょう。

 

 そう考えると、今回の件はやはり弁護することはむずかしいかと。ここまでは、まあ、自明な事実といって良いと思う。

◆仮定の話を展開するよ。


 で、問題はここからで、それでは、「仮に」その基準が公開されていたとして、つまり①の論点における「基準の未公開さ」というアンフェアさが存在しなかったとして、女性だけテストの点数を下げることは差別にあたるかどうかということですね。

 

 一見するといかにも差別としかいいようがない感じがするが、さて、どうだろう?

 

 よくよく考えてみたところ、ぼくはとりあえずはこれは容認するしかないんじゃないかと考える。

 

 現実に男性しか入れない男子校とか女性しか入れない女子大というものはあって、これは一般に差別とは認められいないわけで、女性(あるいは男性)の点数だけ下げるという大学があったとしても、一概にそれを差別と見るべきではないのではないだろうか。

 

 結局のところ、どのような基準で受験生を振るい落とすにしろ、その基準が明確に公開されているとすれば、それはアンフェアとはいえないのではないかと思うのだ。

 

 理屈の上ではすべてサイコロで決めますよという基準だとしても成り立つはずではある(現実にそういうことをやったらどうなるかという問題は措くとして)。

 

 つまりはその基準がはっきりと公開されている限り、どんな基準で選ぶかは大学の自由ではあるということ。

 

 しかし、この場合、女性だけを特別視しているわけで、大学にはなぜそのようなことをしなければならないのかという合理性について説明する義務があるだろう。

 

 はっきり男性だけ、女性だけを選別することには合理性があると考える。

 

 男性だけ、あるいは女性だけの学業空間を作り出すことが目的だと考えられるからだ。

 

 そのような空間には、社会的にある一定の価値が認められるだろう。

 

 もちろん、これも厳密に見て行けば男女二元論で考えて良いのかという問題は孕んでいるだろうし、たぶん良くないのかもしれないが、まあ、それもここでは措いておくとする。

◆女性の平均的な労働力は低い?


 青識さんはここら辺のことについてこのように書いておられる。

 ぼくの理解では、つまり、平均的に見て女性の労働力は男性より低いのだから、男性よりきびしい基準で合否を決定されることもやむを得ないと考えることもできるのではないか、ということだろう。それははたして差別にあたるのかどうか、と。

 

 個人的な考えるを述べるなら、ぼくはやはりそれは差別に相当するのではないかと思う。

 

 なぜなら、その場合、大学は、なぜ個人がその人が所属するあるカテゴリの平均的成果(この場合は女性の平均的労働力)を背負わなければならないのかという問いに答えられないと思うからだ。

 

 仮に女性一般の労働力平均が男性一般のそれより低いことが事実だとしても(妊娠、出産の問題やジェンダー、社会状況などを加味して考えると、おそらく事実だろう)、だからある個人の労働力が低いということにはならない。

 

 まあ、それ以前に大学の合否基準を労働力に求めることじたいどうかと思うわけなのだが、そのことを考えないとしても、ある個人をそのカテゴリで判定して負担を背負わせることには合理性がないと考える。

◆ifの話をさらにつづける。


 もちろん、そのほうが現実に効率が良いのだからやはりそれは合理的だという理屈は成り立つだろう。

 

 しかし、それはやはり現行の社会制度を無条件に是認する考え方であるのではないだろうか。

 

 社会の改革を進めていけば、女性の労働力も変わって来るかもしれないわけだ。

 

 とはいえ、もし、「いや、そもそもその基準が明確に公開されている限り合否に関してどのような基準を設けることも自由なのだから、その基準の合理性を説明する必要はないのだ」と開き直るとすればどうだろう。

 

 これは、暴論のようだが、論理的には「あり」ではあるかもしれない。

 

 サイコロで決めるのも「あり」だとすれば、女性だけ点数を下げるのも、仮に合理的ではないにせよ、「あり」ではあるだろう。

 

 すべての大学がそのような採点基準で動くようになったらあきらかに問題だろうが、一大学がそういう基準を採用することは、理屈の上では批判できないように思える(社会的には軽蔑されるかもしれないが)。

 

 ただ、それでもやはりぼく個人はこのような採点基準には反対だし、ろくでもないと思う。仮にその基準があきらかにされていたとしてもだ。

◆社会が負担するべきコスト。


 女性が一般的に妊娠・出産という行為によって労働力を低下させることが多いとすれば(男性の場合は妊娠・出産の可能性はゼロだから、比較すれば女性のほうが多いに決まっているはずだ)、そのコストは個人に背負わせるのではなく、社会が負担するべきだと考える。

 

 少なくとも現時点では女性のみが担っている妊娠・出産という行為によって社会はあきらかに利益を得ているのだから、コストを負担することも当然だと思う。

 

 極論するなら、仮に全女性が待遇の改善を求めて「妊娠ストライキ」でも行ったら社会はあっというまに破綻するわけで、女性だけに妊娠・出産のコストを背負わせることは不当であると考えるのだ。

 

 まあ、いま、ぱぱっと考えたことだからほんとうに正しいかどうかはわからないが、とりあえずぼくの意見はこうだ。

 

 最後に、むりやりこの話題を物語と絡めるために、昔、『終末の過ごし方』というちょっと面白いアダルトゲームで、女医になれなかったヒロインが出て来たなあ、という話を掲載しておく。

 

 いや、だからどうしたというわけでもないのだけれど。

 

 仮定の話はともかくとして、現実の問題としては東京医科大のやった(とされている)ことは限りなくひどいので、批判されることは当然だとは考えている。

 

 そのことを最後に記して、この記事を終えることにしよう。

 

 どもども。読んでもらってありがとうございました。この話題について、シリアスな議論が展開されんことを。


 この記事を書いた人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。


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