【非モテを巡るやり取り】


 以下のやり取りは2018年12月26日にLINEの公開グループ「オープンルーム」でお行った対話に一部編集を加えたものです。

 

海燕:白饅頭さんの「白饅頭 vs. INCELマン」という記事がめちゃくちゃ面白い(https://note.mu/terrakei07/n/n5f9d0e192915)。アメリカの攻撃的非モテINCELの人にインタビューを申し込んだ内容。非常に資料的価値がある。あくまで個人へのインタビューではあるけれど、INCELは自分たちのことを差別の被害者として捉えていて、社会の改善を望みつつもそれに絶望していることがわかる。

 

てれびん:ふむ。

 

海燕:面白いよ。

 

てれびん:買わないといけないから、あとで買うわ。たしかに気になる。

 

海燕:うん。

 

てれびん:読んでないからなんとも言えないんだけど、ぼくは「それでも社会を徐々に変えるしかない」派のひとなんだよね。ちょっと気になっている。

 

海燕:うーん、ぼくはそれは不可能だと思うね。原理的に。

 

てれびん:ふむ。

 

海燕:だって、パートナーがいない人にパートナーをあてがうわけにもいかないでしょ。

 

てれびん:読んでみている。最初の瞬間から面白いな。インセルの思想に伴ってテロ行為したことについて「全員個別だから無関係」。

 

海燕:うん。『攻殻機動隊』の「個別の11人」みたい。

 

てれびん:ぼく、そこが気になる。

 

海燕:ふむ。

 

てれびん:集団の力を頼りつつ、でも責任はありません、とも見えるかなと。

 

海燕:んー。わからなくはないけれどね。

 

てれびん:ぼくはそれはやはりアンフェアに思える。

 

海燕:そこは議論の余地があるね。

 

てれびん:みんながフェアである必要はないんだけど、そういうアンフェアをする相手のいうことは聞きませんと返ってきちゃうんじゃないかなと。

 

海燕:うーんと。それはさ。たとえば、オタクが犯罪をしたときに同じオタクだから責任を取れといわれてもしらないというのと同じじゃない?

 

てれびん:うん。それもわかる。でも、声をあげた責任はあると思うんだよね。

 

海燕:んー。微妙なところだな。

 

てれびん:責任というのかな。なんだろうな。それを知りません。関係ありません。というには、声をあげすぎてるんじゃないかなと。

 

海燕:うん。そうね。そういう考え方もできる。

 

てれびん:声をあげてないひとが責められるのは違うけど、声をあげたひとに全く責任がないのかというと、議論の余地はあると思うんだよね。

 

海燕:そうね。

 

てれびん:ぼくは、そこが気になる。「ここまでは自分にも責任がある」、「ここまでは責任あるけど、責任を取れと言われても無理だ」とか、そういうのは、どこまで考えてるのかなあと。

 

海燕:うーん。どうなんだろうね。「自分たちを迫害した社会が悪い」と思っていると思うよ。

 

てれびん:うん。でも、主張することによって逆に被害を被る人はいるんだよね。そこはやはり、加害者の側面はあると思うんだ。

 

海燕:うん。でも、それはいわば「正しい暴力」だという考えなんじゃないかな。社会が抑圧するから必然的にそういうことに走らざるを得ないんだと。

 

てれびん:それもわかるんだ。その気持ちもわかる。で、すべてが間違えてるとは思わないよ。でも社会にも社会の正しい暴力があると思うんだよね。そのために、苦しめられている人もいる。たとえば富に限りがあるから人員が足りなくて過重労働とかも増えるわけだ。富に限りがあることそのものは仕方ないことだよなと。その取捨選択の結果で苦しんでるひとは、やはり正しい暴力の被害者だと思うんだよね。この例が正しいかわからないけどさ。

 

海燕:ぼくもそう思う。だから、社会の構造を変えることは不可能だと。それは、この社会がどうこうじゃなくて、もっと原理的な問題なんだから。

 

てれびん:でも、社会の構造について怒ってたりする人もいるよね。もちろん部分的に改善できるところはしていくべきだけれど。

 

海燕:うん。だから、ぼくは社会に怒りを向けてもしゃあないと思っている。

 

てれびん:ぼくは、最近、部分的には効果的かもしれないとは思うようになった。それが、客観的正当性をもった指向性の怒りなら、部分的には効果があるんじゃないかなと。

 

海燕:うーん、だから、ぼくは客観的正当性はないと思っているわけ。そこにはたしかに差別があるんだけれど、それを問題視してもどうしようもないだろうと。なぜなら、人はそうやって差別することなしには生きていけないんだから。

 

てれびん:ぼくもそう思うよ。そこで終わるなら話は終わりになるんだけれど。

 

海燕:いや、ならないでしょ。

 

てれびん:うん?

 

海燕:それなら、そのうえでどうやってその差別的な社会で生きていくか、という問題が残る。

 

てれびん:いやさ。でも、怒っているからなのかもしれないけれどさ、「私たちも差別してるよね」って反応が返ってくる印象ほぼないんだけど。たいてい別の言葉が返ってくる。経験的には。

 

海燕:だからさ、まずはそこから問題視していきたい。

 

てれびん:うーん。いや、いつも思うのね。ぼくは今の考え方は、正しいだろうとは思っている。でも、別の正しさなら納得のいく説明あるのかなあと。ぼくはぼくの考えが正しいとおもうから「違うんじゃないの?」「ぼくはこちらが正しいとおもう」というんだけど、それは、言われる側からしたら、正しさの押し付けだよね。だから、苛立つってのも、わかる。

 

海燕:うーん。ぼくが納得いく説明は見たことない。もちろん、べつの正義はあるんだけれどね。「ぼくは」納得できない。

 

てれびん:そこで、んーーー、って思うのよ。こないだのツイッターのときも、そういうことは裏で考えていた。向こうからしたら、正しさの押し付けだからムカつくよね。

 

海燕:うーん。それはさ。聞いてみるしかないよね。どういう正当性を持っているんですか、と。たいてい答えてくれないけれど(笑)。

 

てれびん:答えてくれない。

 

海燕:うん。

 

てれびん:社会は不平等だからそこで苦しんでる人に寄り添うために怒っているとか、返ってくる。この意味で正しいのかわからないけれど、ぼくはそう受け取った。

 

海燕:うん。ぼくも社会は不平等だと思うよ。というか、ほんとうのことをいうと、世界が不平等なんだよね。だから、それはどうしようもないだろうと。

 

ろっぱ:個人的にはそういう怒り方ってずるい気がする。

 

てれびん:そう。ぼくもずるいとは思うんですよ。でも、同時にわからないでもない。相手は相手で苦しみがあるんだろうと。でも、自分が苦しいからって、他人に何らかの苦しみを与えてないか?って。

 

海燕:うん。ぼくももちろん良くないと考える。だから、非モテにもツイフェミにも賛同しない。でも、そのうえで「じゃあ、どうしたらいいの?」という問題は残ると思うんだよね。

 

てれびん:自分は可哀想だから、優しくされるべきだって発想なんじゃないかなあと。わからないでもないけど、それって、逆の立場からしたら「え、俺らにここまでやれっていうのかよ!?」みたいな気持ちは湧かせるよね。ぼくは、そこには不平等性を感じる。

 

海燕:うん。そうなんだけれどさ。じゃあ、まったく見捨ててしまえばいいのかというと、それも違うだろうと。かわいそうだからといって特別扱いすることはできないけれど、完全に見捨てることもできない。だから、対等の立場でやり取りしていく。ぼくはね。

 

てれびん:そう、だから「貴方も間違えてますよね?」と、合意を取りに行くんだけど、言い方わるいのか、トラブルになりますw つーか、なめられてるときがトラブルになるね。

 

海燕:うーん。このあいだ、映画の『教誨師』をいっしょに観たじゃん。

 

てれびん:はいはい。

 

海燕:あれさ、殺人犯の死刑囚と話をする映画なんだけれどさ。残虐犯罪を犯して囚役しているはずの殺人犯たちが一様に被害者感情を抱いているんだよね(笑)。おれはほんとうは悪くないのにこんなところに入れられたとかさ、ぜんぶ裁判員制度が悪いとか、いろいろほざくんだけれど。ああいうの見ると、どんな人間でも自分は被害者だと認識するものだと思うよね。それはそうなんだろうけれどさ。

 

てれびん:うん。で、まあ、一定の敬意を抱いてもらってる相手とは、そういうトラブルになったことは基本的にないかな。あと、それなりに認めなおされたらトラブルにならないとかもある(笑)。最近は「あ、舐めてるんだな」って若干わかるようになってきたのはある(苦笑)。

 

海燕:ようやく気付いたか(笑)。

 

てれびん:でもね。同時に、舐められる行動取るから、柔らかくやれる側面もあってさ。紳士協定だとおもうのよ。ぼくが舐められるのは、仕方ない側面はあるとは思う。だって、そう取られても仕方ない行動をしてるんだろうしさ。だから、怒っても、そこそこの怒りよね。まあ、そうなっても仕方ないよねって。

 

海燕:うん。そうかもね。まあ、でもさ。柔らかい態度を取っていたらなめてかかってくるのは端的にいってどうしようもない奴だけどね。

 

てれびん:いやー、どうしようもないやつも多いけどさ、そうでもなかったりもするよ。

 

海燕:そうかなあ。まあ、そうかもしれないが。

 

てれびん:それこそ、被害者意識と相まってそうなってしまうとか、周囲の環境から基本的に舐めてかかるのが当たり前で、しかし性根は悪くないとか。距離感勘違いして甘えてしまうとかさ。ぼくは、そう捉えている。

 

海燕:まあ、性善説的に捉えるならそういうこともあるだろうね。それ全部どうしようもない奴だと思うけどね。

 

てれびん:ま、それはそれとして「いや、それ俺にとって不公平じゃね?」とは思うし、基本、覚えているけれど(笑)。たまに、「あの時は悪かったよ」ってなる人もいるから、環境に伴って変化あるよ。ぼくはぼくで、ミスあるしね。

 

海燕:もちろんね。

 

てれびん:なので、別にどうしようもない人だとは思わないかな。むしろ、変化できるなら、それはなかなか凄い人だとおもうよ。

 

海燕:変化できるならね。

 

てれびん:うん。あんまいない。ぼくもほとんど見たことない。

 

海燕:人間はそう変われるものじゃない。

 

てれびん:本質は変わらないとおもうよ。でも、何だろうな。傾向を把握して心のシコリを取ることはできるんじゃないかな。

 

海燕:うん。まあ、それはいいんだけれど。

 

てれびん:まあ、閑話休題。

 

海燕:人間はだれかの足を踏んだことは忘れてもだれかに踏まれたことは憶えている生きものなのね。だから、たいていの場合、自分は被害者だと認識している。

 

てれびん:被害者だと思っていいんだよ。でも、その瞬間、加害者でもあるんじゃないかな?って考えることができると、ぼくは、マトモな人だなとおもう。

 

海燕:うん。まあね。なかなかむずかしいけどね。

 

てれびん:で、そういうのって、言葉の端々からわかるし。

 

海燕:うん。そうね。

 

てれびん:考え方が、ぼくから見て、間違えてることは気にならないね。おかしくね?って言うし、逆にぼくが間違えてるかもしれないし。

 

海燕:うん。わかる。

 

てれびん:ひと通りインセルの記事を読み終えた。これさ、ほとんどこないだぼくがろきさんに言われたことと同じに見えるよ。本人に言うと「全く違う!」と怒るかもしれないけれど、ぼくには同質のものに見える。

 

海燕:いや、わからんけど。そうなの?

 

てれびん:うん。つまり、世界には不公平な構造が存在し、そこに苦しむから怒るわけだ。

 

海燕:うん。

 

てれびん:えーと、一部転載ってしてもいいのかな?

 

海燕:引用の範囲内ならオーケーだと思う。

 

てれびん:オッケー。「お前は勘違いしている。憎悪はINCELだけが持っているのではない。この社会全体が、表には出さないだけで、大なり小なり男という存在に対して憎悪を持っていて、とくにそれが弱い男に対しては遠慮なく向けられているのだ」。ラストのこの一文のあたりね。ここが本質的に近いと思った。

 

海燕:ふむ。

 

てれびん:「お前は勘違いしている。憎悪はフェミニストだけが持っているのではない。この社会全体が、表には出さないだけで、大なり小なり女性という存在に対して憎悪を持っていて、とくにそれが弱い女性に対しては遠慮なく向けられているのだ」。こう書き換えたら、ぼくが言われた内容の趣旨と同じだと思うよ。

 

海燕:うん。そうかもね。

 

てれびん:本質的には同じ動機だとおもう。

 

海燕:ぼくはろきさんのツイートはそんなに詳細に読んでいないから断言できないけれど。

 

てれびん:やっぱ、読みなよ(笑)。あの時言ったじゃん。

 

海燕:まあ、読んでも良いんだけれどさ。

 

てれびん:面白いとはおもうよ。ぼくがおかしいところもあるだろうから、そういう話も聞きたいし。

 

海燕:実際さ、ろきさんのことはべつとして、ミソジニー(女性嫌悪)を抱えた人とミサンドリー(男性嫌悪)を抱えた人はほんとにそっくりに見える。

 

てれびん:うん。

 

海燕:でさ、本人たちにそう指摘すると怒るわけだ。「わたしは「ほんとうに」被害者だから、違う」と。あいつらはそう思い込んでいるだけだけれど、おれたち/わたしたちの苦しみは本物だと。

 

てれびん:うん。

 

海燕:でもさ、お互いにそう主張しているわけだ。というか、みんながみんな、自分たちだけが苦しんでいると主張して、他人の苦しみには耳を傾けない。何というか、不毛だなあ、と思うのね。だから、そういう「だれが本物か」みたいな議論を超えたところへ話を持っていきたいわけ。

 

てれびん:で、そこに「ほんと?」ってノホホンとした顔して聞きに行くのがぼくです。

 

海燕:そらむかつくわな。おまえが悪い。

 

てれびん:ムカつくとおもうよ。

 

海燕:うん。

 

てれびん:いやー、だからさ、ろきさんとのツイートのやり取り、価値があるってどっかに送ったじゃん。インセルの話と同じだと思うんだよ。ぼくは、やはり価値があるとおもう。

 

海燕:うーん。そうね。どういえばいいのかなあ。男性と女性がいて、お互いに自分たちは被害者で相手は加害者だと認識しているって構図、ぼくにはそのどちらが正しいのかとはべつに、ばかばかしいものに思えるんだよね。そんなに単純な話じゃないだろうと。

 

てれびん:そう思うよ。ちなみに、ぼくがあれをツイッターに拘ってやってたのは、公開の価値があるからだと思ってそうしてたのはある。

 

海燕:うん。これもあとでどっかに載せようかな。「てれびん「げへへ。言ってやったでゲス」」みたいな感じで。

 

てれびん:まあ、公開の場だから任せるわ(笑)。

 

海燕:うん。まかせて(笑)。

 

てれびん:事実は事実。

 

海燕:うん。もちろん、性差別はある。女性に対してはもちろん、男性に対してもあるだろう。それをどうにか解消していこう、という話は間違えていないと思うんだよね。

 

てれびん:ぼくもモテないんだけど、インセルに入ろうとはおもわんな。

 

海燕:おまえは医者だから仲間に入れてやらん(笑)。

 

てれびん:差別だー。

 

海燕:区別だよ。

 

てれびん:みんな医者はモテるとかいうんだ。モテたことないぞw

 

海燕:相手を選ばなければモテると思うよ。おまえが贅沢すぎるんだ。まあ、それはどうでもいいんだけれどさ。

 

てれびん:まあ、どうでもいいね。贅沢の基準が難しいです。割と面白い議論だった。無駄話(という名前のLINEグループ。海燕、てれびん、かんでたくま。が所属。)の一部がこんな感じ。今日はマイルド。

 

海燕:マイルド。