【書評】


・栗本薫『グイン・サーガ外伝(6)ヴァラキアの少年』★★★★★

グイン・サーガ外伝6 ヴァラキアの少年

 『ヴァラキアの少年』。長大な『グイン・サーガ』シリーズの外伝六巻です。

 

 もし、ぼくが人生で読んだすべての本のなかからあえて「黄金の一冊」を選ぶとなったらこれかなあ、と思うのですね。

 

 いまから『グイン・サーガ』を読む気だという人は少ないでしょうし、特にお奨めするつもりも実はないのですが、これと、『十六歳の肖像』の二冊くらいは読んでおいて損はないと思います。

 

 この二冊は、実に、栗本薫の全キャリアのなかでも頂点を示す大傑作だからです。いまの目で相当に批判的に見ても、およそ、エンターテインメント小説として完璧といって良いクオリティなんですよね。この頃の栗本薫の才能は神がかったものがあります。

 

 物語の舞台となるのは、港町ヴァラキア。そのなかのチチアと呼ばれる下町です。主人公は16歳の少年イシュトヴァーン。

 

 悪魔っ子と呼ばれ、このさまざまに悪がはびこる町の申し子ともいうべきこの孤児が、年下の天才少年ヨナのために、いかにして義侠の行いを敢行するのか、そういう話なのですが、青春のひと時を切り取った小説として、あまりに切ない雰囲気が垂れ込めています。

 

 この、「雰囲気」という、あるような、ないような微妙なものを絶妙にかもし出す能力が、栗本薫全盛期の天才だったのですが、本書はその最高の結実といって良いでしょう。

 

 『十六歳の肖像』もそうだし、同時期に刊行された本編である『パロのワルツ』などもそうなのですが、この無駄な力の抜けきった、自然体の、それでいて必要なところではきっちりと盛り上がる文章の技はさすがとしかいいようがありません。

 

 まあ、ここでピークを迎えて、その後は下っていくんですけれどね。もし、これがどこまでも続いていたらと思うのですが、それはエラリイ・クイーンがいつまでも国名シリーズを書きつづけていたらと望むようなものなのでしょう。

 

 傑出した才能のキラメキは短く、儚く、だからこそ美しいのかもしれません。作家はアスリートのように衰え始めたところで引退するわけにはいかないということもほんとうですが……。

 

 とにかく、この『ヴァラキアの少年』は、ぼくの人生でも最高といっていい一冊です。何とも切ないのは、「いつか王になる」という夢を掲げるイシュトヴァーン少年の、その、無邪気な少年らしさなのですよね。

 

 この頃のイシュトはまだ何も現実を知らず、だから「王になる」ということが素晴らしい運命だと信じきっている。そして、かれに救われたヨナもその夢を共有する。たまさか出逢ったひと組の少年たちの、自らそうとは知らぬ黄金の日々!

 

 ところが、このエピソードの最後の最後で、本編未読の読者にとってはきわめて衝撃的な情報が待ち受けています。やがて、この町を出て、王になるための遥かな放浪の旅に出ることになるイシュトを待ち受ける運命神ヤーンのえにし。

 

 それは、本編を読んでもらわなければわからないところなのですが、まあ、この一冊だけ読んであとは想像に任せるのも良いでしょう。どうせ、本編も未完ですからね。

 

 ちなみに、この作品で別れを遂げたイシュトとヨナが再開するのは、実に本編92巻のことになります(笑)。これがまた、印象的なエピソードなのですが、この再会の良さはあまりわかってもらえないようです。

 

 かつては無邪気に夢を語り合えた少年たちは、十余年の月日を経て大人になり、一方は猜疑心に捕らわれ、他方は地位と責任を獲得する。そして、再び巡り会うことになったものの、あの黄金いろに輝く日々は決して戻っては来ない。

 

 それが、時が経つということ。すべては時によって奪われ、喪われ、そしてまた新しい物語が紡がれていく――ヤーンなるかな。ヤーンの御業なるかな。

 

 そういうわけで、ある種のダークファンタジー青春小説として、この一巻だけでも記念碑的な傑作といって良いと思っています。ぜひ、これは読んでほしいですね。

 

 栗本薫の全作品のなかからベスト5を選出するなら、これと、『十六歳の肖像』、『パロのワルツ』、『絃の聖域』、『真夜中の天使』ないし『翼あるもの』、それに『終わりのないラブ・ソング』あたりが選ばれるところでしょうか。

 

 やはり初期から中期の作品に集中するのですが、これはしかたないですね。その頃の栗本さんの筆力はやはりずば抜けたものがある。

 

 イシュトヴァーンは実にぼくにとってベスト・キャラクターのひとりで、ほとんど実在の人物に等しい存在感を感じています。かれの長所も、短所も、カリスマも、わがままさも、そのすべてを含めて、ひとりの友人のように思います。

 

 ある意味で、限りなくどうしようもない奴なのですが、それがあるからこそ、作り物ではない実在の人物として感じられるのだと思う。

 

 もう、こんな出逢いはないかもしれませんね。ぼくも歳を取りましたから。時が経ち、すべては風化していく――しかし、変わらないものもある。

 

 ぼくの最も愛する物語です。どうぞ、読んでみて、遥かな中原の地へ旅してみてください。


・山尾悠子『増補:夢の遠近法』★★★★★

増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)

 知っている人は知っている、知らない人は一生縁がないであろう本邦幻想文学の泰斗、山尾悠子の傑作短編集です。山尾悠子という人はいままでごく少ししか長編を書いていないので、その本領は短編にあるといって良いかと思います。

 

 で、この本にはそれはもう、綺羅、星の如き神がかった作品が多数収録されているのです。

 

 かつてはほとんどすべて絶版で読むことができなかった山尾悠子の作品群は、現在では大部な『山尾悠子作品集成』でほとんど読むことができるものの、あれは1冊10000円近くするなかなか手が出しにくい本、そこで、この『増補:夢の遠近法』は山尾文学の入門編として編まれたのでしょう。

 

 ありがたやありがたや。だって、『山尾悠子作品集成』は重すぎて手に持つことも大変なんだもの。

 

 まあ、そこはほかならぬ山尾悠子、入門編とはいってもなかなかに晦渋な作品が少なくないのですが、一般的な小説とは色々と異なっているので、それはどうしようもありません。

 

 大切なのはあなたが山尾文学を選ぶかどうかではなく、山尾文学があなたを捉えるかどうかなのです。そして、いちど捉えられたなら、もう一生、そのきららかな幻視の世界から逃れることはできません。決して数多くはないその作品のなかに閉じ込められて生涯を終えるしかないことになります。

 

 いや、ほんと、現代ではなかば伝説的に語られる天才作家なのですが、その作品の壮麗なこと、華美なこと、ほかにまったく例がないといって良いと思います。

 

 作者は三島由紀夫や倉橋由美子などから影響を受けているようですが、それにしても、彼女の世界はまったくのオリジナルで、比肩するものがありません。まさに天才の所業というしかないでしょう。

 

 いくら絶賛しても足りないレジェンドなのです。ひとたび本のとびらをひらいたなら、冷酷で残忍、しかしそれでも惹きつけられずにはいられないような美貌の物語群があなたを歓待してくれるはずです。それは悪魔の歓待であるかもしれませんが……。

 

 さて、傑作ぞろいの収録作のなかから、あえてオススメを選ぶなら、やはり山尾の生涯の代表作、ボルヘスの『バベルの図書館』と偶然ながら共通するアイディアを用いていることで知られる「遠近法」、それから、耽美の窮みともいうべき破滅と再誕の物語「破壊王」あたりになるでしょうか。

 

 この未完の大傑作「破壊王」は、全四篇のなかで最初の「パラス・アテネ」しか収録されていないのですが、もともと物語の面白さを愉しむという性質の作品ではないので、特に問題ないでしょう。ひたすらに、その絢爛たる想像力と凄絶なまでの美文に酔うべき一作なのです。

 

 もしもほかの三篇を読んでみたいと思ったら、ぜひ『山尾悠子作品集成』に手をだしてみてください。さらにディープな世界へ足を踏みいれることができると思います。

 

 ちなみに、この「破壊王」のシリーズは雑誌掲載されたあと、『作品集成』に収録されるまで、単行本に入ることすらなかったという文字通りの幻の傑作です。

 

 とにかくにもまあ、いま、この作品を読めるということは倖せなことではあるでしょう。この本を作ってくれた人に感謝するしかありません。いやあ、世の中には酔狂な趣味人がいるものなのですね。

 

 そして、「破壊王」シリーズの最後の作品である「繭」。これがまた、ものすごい。本人が「散文詩」と語っているように、ほとんど物語としての体裁を整えていない掌編なのですが、その文章の密度、そして美しさは圧倒的なものがあります。

 

 日本語の精髄といっても良いでしょう。ああ、言葉とはこれほどまでに美麗に使いこなすことができるものなのか、といまさらながらに驚かされるほどの超傑作なのです。ちょっと引用すると、

 

 そして一生の驕りをきわめた四十九日間の籠城ののち、世界の大火を背に、一組の男女が眼と耳を覆って黒い魂の森へとのがれた。

 天秤の西の皿には一塊の黄金。そして東の皿に置かれるべき王の右掌は永遠に祝福されよ。その日、大饗宴の始まりの宵、王の右掌に一寸の重みを加えたものは一瞬の増長であったと人は常に思ったものだ。――王はまだうら若い。蝋の白さを持つ昆虫類の美貌は、重たげな宝冠のもたらす頭痛にはやくも萎れかけている。だらりと垂れさがる倦怠の瞼は、王族の懶惰を載せて昨夜の快楽のなごりに沈む。その瞼の隙間をひそひそとよぎるのは、蔦のように玉座に絡む血統樹の、べとつく果実達。陰気な欲望を咽喉に噛み殺す、血族達の往来である。王は未だ結婚を望まない。血の重さがかれの藍色の矜持を深め過ぎたのだ。

 

 と、こんな美文が延々と続くのですよ。ちょっと一読しただけでは何をいっているのかわからないしれませんが、心配はいりません、最後まで読んでも良くわかりません。

 

 これはもう、意味や物語などという野暮なものとは縁を切った文章なのだと思います。ただひたすらに美だけを求めて洗練され切った詩的な言葉たち。

 

 ほかの「破壊王」シリーズと比べても一段、文章のギアを上げてきている印象です。ぼくが知るかぎり、この世で最も美しい短編のひとつといっても過言ではないかと思います。

 

 神だ。神がここにある。

 

 この一篇を読むためだけにでも、やはり『山尾悠子作品集成』を購入する意味はあるかもしれない。いや、いまは『増補:夢の遠近法』の話でした。

 

 とにかくまあ、こういう華麗な作品たちを文庫で1000円も出さずに読めるということの倖せたるや、ですよ。めちゃくちゃオススメなので、美文とは何か知りたい方はぜひ読んでみてください。物語としての面白さとはまたひと味違う魅力がここにあります。