
◆Netflixならテレビで規制された『幸色のワンルーム』が問題なく見れます。
タイトル通りの話ですが、テレビでは規制が入って一部地域での放送が中止した『幸色のワンルーム』、Netflixではふつうに見れるんですよねー。うーん。
この現実を見ると、そもそもテレビで放送するべきかどうか議論することにあまり意味がなかったかもしれないとすら思いますね。
結局のところ、いま、あきらかに「オワコン」になりかけているテレビというメディアに論理や良識を期待することじたい無理があるのかも。
テレビがごくつまらない無難な番組ばかりになって滅んでしまっても、ネット配信さえあれば問題ないということになりそう。
いやまあ、現時点で『幸色のワンルーム』を見ていないので、これが面白いのかどうかはわかりませんが。たぶん、面白くはないだろうというのがぼくの予想。
しかし、ともかくテレビほどの公共性を期待されないこともあって、ネット配信は没論理的なクレームに惑わされずに魅力的なコンテンツを放送できるように思える。
これは今後、魅力あるドラマコンテンツの放送の場所がテレビからネットへと移っていくことを意味しているのではないでしょうか?
つまりはテレビが規制に規制をかさねてその魅力を減じたとしても、ネット配信さえあれば問題ないのではないかということです。
◆ネット配信に問題はないのか(反語)。
いや、もちろん、単純にそうはいい切れないでしょう。
いずれネット配信にも規制が入って来る危険性はありますし、いち私企業の運営である以上、そこに文句をつけがたいことも事実です。
外資のNetflixやAmazon Prime Videoにすべてを委ねてしまうのもいかにも危険そうですしね。
ですが、そうはいってもいまのところ、ネット配信はテレビよりもはるかに自由に「面白い」作品を創れる環境が整っているように見えることも事実です。
少なくとも『幸色のワンルーム』はあっさりとクレームに負けて、関東圏のテレビでは放送できなかったわけですから。
「これからはネット」とかいうのもいまさら時代遅れでばかばかしい話ではありますが、でも、テレビよりはネット配信に希望を託せそうには思えるかなあ。
まあ、とはいえ、いずれ、確実に若者がネットで「危険な」コンテンツを見ることは問題だという議論は巻き起こって来ることでしょう。起こらないほうがおかしい。
◆パンドラの匣のふたはもう開いている。
ただ、ここで指摘しなければならないのは、ネットでは『幸色のワンルーム』などよりはるかに過激なコンテンツがほぼ見放題の状態にあるということです。
これはそれが良いか悪いか、正しいか間違えているかということ以前に、単なる現実です。
局部修正のかかっていない18禁動画なんてちょっと探せばいくらでも見つかるし、探し方さえ知っていればもっとやばい情報を見ることもできる。
いまの若者たちはぼくのようなアラフォー世代が同じ歳だった頃よりはるかに過激な情報や画像、動画にアクセスしやすい状況にあるといって良いでしょう。
かれらには「18歳未満のお客様には貸し出しできません」といわれるリスクにどきどきしながらレンタルアダルトビデオを差し出すという冒険は必要ないのです。良かったね。
つまりまあ、いってしまえば、災厄と希望とが詰まったパンドラの匣のふたはもうすでにひらいてしまっているんですよ。
そういう現実がじっさいに存在していることを無視して「若者に危険なコンテンツを与えるなんてけしからん!」と叫ぶことは滑稽だし、その種の情報は規制しようがありません。
その成否はべつにして、いまさら表現規制はほとんど意味がないということはいえると思います。
◆これからの表現規制議論の前提。
まあ、その結果、生まれたものがNetflix版の『DEATH NOTE』みたいな空前の大駄作だったりすることを考えると、「ひょっとして規制が入ったほうがマシかな?」という気分になってしまったりするのですが、その一方で『ゲーム・オブ・スローンズ』のようなウルトラ傑作もネットを通して見ることができます。
とにかく、規制が必要か? 不要か? という議論そのものが無意味だということをこの『幸色のワンルーム』の件で思い知らされたように思います。
規制は、必要か不要かという以前に、もうまったく無意味なのです。
若者たちは、本気でアクセスしたいと思えばどのようにでも「危険な」情報に触れることができる。
そして、それを止めることは(インターネット自体を取り上げるのでなければ)不可能なのです。
ある意味、『幸色のワンルーム』なんて可愛いものですよ。海外のポルノサイトでは、日本では考えられないような動画が野放しになっていたりしますからね。
だから、もし表現規制派に理性があるなら、かれらの最終目標は国を挙げてインターネットを規制しようという話になるでしょう。
そうならないと論旨に一貫性がない。しかし、当然、もしそんなことになったら日本は終わりです。
今後の規制の是非を巡る議論は、最低限、以上のような論点を踏まえて行いたいですね。まあ、どうせ無理だろうけれど。

この記事を書いた人:海燕(かいえん)
プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。
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