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オウム真理教、と学会、そしてぼくたちの正気と狂気。

◆オウムを笑う人々はほんとうに正気なのか。


 YouTubeで「オウム真理教に入信した女性の末路」という動画を見ました。

 テレビで放送されたオウムに関するドキュメンタリーの一部らしいのですが、なかなかに見ていてぞくっとする内容になっています。

 

 ぼくも何度か宗教に誘われたことがあるので、ひょっとしたら並行世界のイフルートのぼくはいまごろ熱心にマントラを唱えて修行にいそしんでいたりするかもしれないなあ、などと思いますね。ないか。ないな。

 

 まあ、この動画そのものは良いのですが、ぼくが気になるのはこの記事についたコメント。

 

 個人的にコメント欄はインターネット最悪のシステムだと思っているのですが、ここのコメントもやっぱりそれなり。

 

 いや、べつに内容あるものを期待しているわけじゃないのですけれど、それにしてもつくづく思わされるのは、この人たちは何を根拠に自分は正気だと思い込んでいるのだろう?ということです。

 

 オウム真理教は狂気の集団だった。たしかにそれはそうでしょう。でも、だからといってそれを非難し、あざ笑うほうが正気だということにはならない。

 

 いったいこの人たちは何をもって高みから他人の狂気を見下しているのだろう。自分だってすでに狂っているかもしれないのに。

◆笑うと学会、笑われると学会。


 「他人の狂気を見下す」ということで思いだすのは「と学会」です。

 

 作家の山本弘さんが20年にわたって会長を務めていた団体ですが、かれらのスタンスも「狂った他人を笑い飛ばす」というものだった。

 

 しかし、現実にはと学会は唐沢俊一さんのスキャンダルなどにまみれて、かれら自身が批判されることになります。

 

 「他人を笑っているかぎり自分は正気でいられる」という信条は、それ自体が根拠のない幻想に過ぎなかったわけです。

 

 そういうさまを見ていると、「人はいったいどうすれば正気でいられるのだろう?」、「そもそも正気の人間など存在するのだろうか?」ということを思います。

 

 たしかに多くの人はオウム真理教にだまされたりしないかもしれない。

 

 けれど、その一方で「恋愛は素晴らしい」とか「結婚は良いことだ」とか「人は働いてなんぼだ」とか、そういうメジャーな幻想を信じている人は大勢いる。

 

 メジャーだから問題にはならないけれど、やっぱりそれも幻想であるわけです。

 

 そもそも価値とは客観的に計測できないものなので、人がバリューを見いだすものはすべて幻想であるということもできるでしょう。

 

 その意味では、すべての人が何らかの「狂い」や「偏り」を抱えている。そうでなければ生きていけないのです。

 

 ただ、問題は、オウム真理教のようにその「狂い」を攻撃性に変化させたときなのかもしれません。

 

 と学会も最後にはかなり攻撃的な論調でかれらが認定した「トンデモ」を責めるようになっていた。

 

 もちろん、と学会は自分たちはオウムなどとは違うと主張するだろうけれど、どうなんでしょうね、もちろん犯罪集団といっしょにするわけにはいかないにしろ、本質的にどこまで差があるのかは疑問です。

 

 「自分(だけ)は正しい」と信じて他者を攻撃するとき、ぼくたちの「狂い」は看過できないものになっていくように思われます。

◆新興宗教「自分教」。


 それはかくいうぼくにしても同じことです。べつだん、ぼくだけが正気でいられると考える根拠はない。

 

 ぼくもまた、価値という名の「狂気の種」を抱えていることは間違いない。

 

 でもね、そういう自覚こそが大切だと思うのです。自分は正気だと確信をもって人を笑っている人たちがいちばん危ういのだと感じます。

 

 「まったく、世の中はバカばかり」とシニカルに笑いながら、自分自身もまた狂気に染まっている。そんな人は、特にインターネットにはいくらでもいるでしょう。

 

 まさに古い意味での、そしてダメな意味での「オタク」そのものです。

 

 ぼくはそういうオタクがいやで、そこから脱却しようともがいてきたのですが、まあ、その話はまたいずれ。

 

 とにかく、オウムに「洗脳」されているという女性を笑う人は、自分はほんとうに「洗脳」されていないのかとあらためて考えてみる必要があるのではないでしょうか。ぼくはそう思うな。

 

 自分の「正気」を自明とし、他人を「あいつは狂っている」あげつらってあざけり笑う。けれど、実は自分自身がだれよりも狂っている。そんなサンプルはインターネットには山のように転がっています。

 

 転がり過ぎていてうんざりするくらいです。

 

 自分は知的で、聡明で、正気で、論理的で、他人を笑う資格があるのだと信じ込んでいる「自分教」の信者たち。

 

 それはある意味ではオウムと同じくらい危険だと思うのですが、どうでしょう?

 

 少なくとも「人を笑っているかぎり自分は正気でいられる」というくだらない幻想を信じている限り、オウムに「洗脳」された女性を笑う資格があるとは思えません。

 

 ネットで安全なところから人をバカにするのは気持ちいいかもしれませんが、それは取り返しのつかないほど人格を堕落させることを認識していたいものです。

 

 少しでも正気でいる、そのために。

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 この記事を書いた人:海燕(かいえん)

 

 プロライター。7月30日生まれ。2001年1月1日からウェブサイトをオープン。その後身のブログは1000万PVを記録。その後、ニコニコ動画にて有料ブログ「弱いなら弱いままで。」を開始、数百人の会員を集める。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見るまでは死ねないと思っている、よくいるアラフォー男子。


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